急がれる
在朝被爆者への
人道的援護

季刊地域政策
第10号 
1999 
秋季号

 

 

がれる
在朝被爆者への人道的援護

今年8月に朝鮮民主主義人民共和国(以下共和国と呼ぶ)のピョンヤン国際文化会館を会場として、「原爆写真展」が開催された。共和国でこうした大掛かりな原爆写真展が開催されたのは初めてである。この写真展については、マスコミでも報道されたが、いくつか誤った報道もあるので、これまで共和国の被爆者問題に関わったもののひとりとして、これまでの報道をふくめて触れてみたい。

一番大きな誤りは、主催者の問題である。これまで外国で開催された多くの原爆展や写真展は、日本の様々な団体が主催して行ってきたため、今回も「原水禁などが主催し」という報道が目についた。残念ながら、これは誤りである。 この写真展の主催者は、共和国在住の被爆者組織である「反核平和のための朝鮮人被爆者協会」(会長・朱成雲)である。

今回の写真展で一番大事なことは、このことである。 なぜなら、共和国においてこうした政治的な意味を持つ写真展は、政府や朝鮮労働党の許可無しには開催できないからである(日本国内では、なかなか想像できないことだが)。 つまり、主催者は被爆者協会であっても、政府や朝鮮労働党の「反核」の意志が強く反映して、初めて開催できたということである。

日本国内ではここ数年「共和国の核疑惑」が、つねにささやかれている。その核疑惑が指摘されている共和国自身が、「反核」の写真展を開催したことに、大きな意義があるといえる。もちろん開催を正式に決定するまでには、かなり厳しい論議があったと聞いてはいるが。主催者のひとりは、「今回の開催にあたっては、党や政府の英断があったからです」と言っていた。

今回の写真展開催にあたっては、広島県原水禁や県被団協、長崎県原水禁なども、パネル写真の提供などの協力をした。また広島市も市長のメッセージやパネルの提供など協力していただいたことも触れておきたい。

原爆写真展は、当初13日から18日までの6日間開催する予定であったが、最終的には8月末まで会期が延長されたと聞いている。こうしたことにも、共和国の写真展に対する意気込みが感じられる。 また、当初予定していた6日間だけで、2000人を超える市民が訪れたという。大きな成功を収めたことは間違いない。今後も、「被爆者協会」の主要な活動のひとつとして、共和国内各地で順次開催していくことになっている。協力してきたひとりとして、大変嬉しい。

さて、ほとんど知られてないが、日本人が在朝被爆者問題をとりあげたのは、1981年9月に大原亨衆議院議員を団長とする社会党の訪朝団が最初である。 その団員のひとりであり、自らも被爆体験を持つ小島逸雄県会議員は、当時の共和国は、「すべての国民の生活・医療について責任をもって保障しているので、共和国に被爆者問題は存在しない」と、取り付く島もない態度だったと振り返っている。

しかし、その後、広島県朝鮮人被爆者協会の李実根会長や原水禁などの粘り強い働きかけもあり、前述した「反核平和のための朝鮮人被爆者協会」が、ようやく1995年2月に結成され、被爆者の実態調査がはじまった。そして現在までに1020名の在朝被爆者が確認されている。私も1992年と1996年の2回、共和国を訪問する機会を得、その都度共和国在住の被爆者のみなさんと交流を行ってきた。

ここで改めて指摘しておかなければならないことは、被爆54年たった今なお、共和国在住被爆者は、日本政府はもちろん、広島・長崎両自治体もなんの謝罪も保障も行わず、まったく放置されたままになっていることである。在米・在韓被爆者に対しては、不十分ではあるが、何らかの財政面、医療面からの対策が実施された。 しかし、わたしたちの「在朝被爆者への保障を」という要望に対しては、「国交がないから」の一言で、なにもしようとしていない。

今、共和国在住被爆者も、例外なく高齢化し、平均年齢は72歳。病気がちで亡くなっていく人が目立つといわれている。もう1日も待てないのである。 過去の歴史を今一度思い起こし、人道的な立場からも、1日も早い具体的な援護施策の実施が求められている。

 

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